特許庁 - Wikipedia

特許庁

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この項目では、日本の特許庁について記述しています。他の国・地域の特許庁については「特許庁 (曖昧さ回避)」をご覧ください。


特許庁総合庁舎
特許庁総合庁舎
特許庁の一部が所在する経済産業省総合庁舎別館特許庁(とっきょちょう、Japan Patent Office)は、日本の中央省庁の一つ。経済産業省の外局。産業財産権(工業所有権)制度の企画立案と審査・審判などを所掌する。

初代長官(農商務省専売特許局長、及び特許局長)は高橋是清

目次 [非表示]
1 沿革
2 組織
2.1 幹部
2.2 内部部局
3 歴代の長官
3.1 特許標準局長官(商工省)
3.2 特許局長官
3.3 特許庁長官(通商産業省
4 その他
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク

沿革 [編集]1884年明治17年)6月9日 - 商標条例の公布に伴い、農商務省工務局に商標登録所を設置。高橋是清が初代所長に就任。
1885年(明治18年)3月21日 - 専売特許条例の公布に伴い、農商務省工務局に専売特許所を設置。高橋是清が初代所長を兼任。
1886年明治19年)3月1日 - 商標登録所と専売特許所を統合し、内局の専売特許局となる。
1887年(明治20年)12月25日 - 外局となり、特許局に名称変更。
1890年(明治23年)6月 - 農商務省の内局となる。
1925年(大正14年)4月1日 - 農商務省の分割に伴い、商工省の外局となる。
1936年(昭和9年)8月27日 - 現在地(当時の町名は東京市麹町区三年町一番地)に移転。
1942年(昭和17年)4月1日 - 内閣所轄の技術院に移管される。
1945年(昭和20年)9月5日 - 再び商工省の外局となり、標準関連業務を加えて特許標準局に改組。
1948年(昭和23年)8月1日 - 特許局に改組(標準関連業務は商工省の外局として新設された工業技術庁に移管)。
1949年(昭和24年)5月25日 - 通商産業省の設置に伴いその外局となり、特許庁に名称変更。
1989年(平成2年)6月7日 - 新庁舎(特許庁総合庁舎)竣工。
1995年(平成8年)- 産業財産権制度創設110周年を記念し、産業財産権制度シンボルマーク(通称・パテ丸くん)を制定。
1999年(平成12年)3月31日 - 特許電子図書館(IPDL)開設。
2001年(平成13年)1月6日 - 中央省庁再編に伴い、経済産業省の外局となる。
2001年(平成13年)4月1日 - 工業所有権総合情報館(現工業所有権情報・研修館)が、独立行政法人として分離独立。
組織 [編集] 幹部 [編集]特許庁長官
特許技監(「特許庁技監」ではない。)
特許庁に次長は置かれていない。特許技監は担当範囲が法令上限定されており、全面的に長官を補佐する次長とは厳密には異なるが、庁内ナンバー2であることに変わりはない。

内部部局 [編集]総務部
秘書課
総務課
工業所有権制度改正審議室
会計課
企画調査課
普及支援課
国際課
審査業務部
方式審査課
方式審査基準室
出願支援課
登録室
特許行政サービス室
国際出願課
国際商標出願室
国際出願企画室
商標課
地域団体商標推進室
意匠課
審査長(7人(商標4人・意匠3人))
特許審査第一部
調整課
審査推進室
審査基準室
審査長(5人)
特許審査第二部
審査長(7人)
特許審査第三部
審査長(7人)
特許審査第四部
審判部
審判課
特許侵害業務室
審判長(126人)
特許庁では、特許、実用新案、意匠、商標の審査及び審理を行っているが、このうち、意匠と商標の審査は審査業務部で、特許と実用新案の審査は各特許審査部で行われており、審判部では審査に対する不服の審理などが行われている。 このほかに特許庁直下の審議会等として工業所有権審議会がある。また、経済産業省本省直下の審議会等である産業構造審議会の知的財産政策部会特許庁と深い関連を有する。

また、特許庁は、アジア地域を中心に、開発途上国への法整備支援として、知的財産権法に関する制度整備及び運用体制強化のための支援活動を展開している[1]。開発途上国における投資環境整備の一環であり、独立行政法人国際協力機構(JICA)やWIPOジャパン・トラスト・ファンド等の枠組みが利用されている。

なお、以前は特許庁の直属機関として存在し、現在でも密接な関係を有する組織として、独立行政法人工業所有権情報・研修館がある。

歴代の長官 [編集]※日付は辞令上の就任日。なお戦後の歴代長官のみ記載。

特許標準局長官(商工省) [編集]佐藤基(1945年9月5日)
奥田新三(1946年1月25日)
奥田新三(事務取扱 1946年6月14日)
久保敬二郎(1946年7月10日)
特許局長官 [編集]久保敬二郎(1948年8月1日)
特許庁長官(通商産業省) [編集]久保敬二郎(1949年5月25日) - 辞令なし(組織再編による継続的在任)
岡田秀男(1952年3月31日)
長村貞一(1952年8月1日) - のち1953年経済審議庁次長、ジェトロ副理事長
石原武夫(1953年11月17日) - のち通商産業事務次官、初代通商企業局長(のち産政局長)
上野幸七(1954年7月2日) - のち経済企画庁次長、通商産業事務次官
井上尚一(1955年11月25日)
上野幸七(事務取扱。1960年4月28日) - 通商産業事務次官として特許庁長官事務取扱
徳永久次(事務取扱。1960年5月13日) - 通商産業事務次官として特許庁長官事務取扱、のち4代目石油公団総裁
齋藤正年(1960年6月24日)
伊藤繁樹(1961年7月7日)
今井善衛(1962年7月10日) - のち通商産業事務次官
佐橋滋(1963年7月23日) - のち通商産業事務次官
倉八正(1964年10月23日) - のち3代目石油公団総裁
川出千速(1966年4月25日) - のち経済企画事務次官
山本重信(事務取扱。1967年7月18日) - 通商産業事務次官として特許庁長官事務取扱
荒玉義人(1967年8月1日)
佐々木学(1970年7月1日)
井土武久(1971年6月15日)
三宅幸夫(1972年6月30日) - 日本鋼管副社長・相談役
齋藤英雄(1973年7月25日)
片山石郎(1976年1月20日
熊谷善二(1977年6月21日)
川原能雄(1979年6月15日)
島田春樹(1980年9月2日)
若杉和夫(1982年6月11日) - のち通商産業審議官、三菱電機副社長
志賀学(1984年6月19日) - のち日本鋼管副社長
宇賀道郎(1985年7月1日) - のち日本自転車振興会会長
黒田明雄(1986年7月11日) - のち住友化学工業常務、工業所有権協力センター理事長
小川邦夫(1987年6月23日) - のち丸紅副社長、日本自転車振興会会長
吉田文毅(1988年6月14日) - のち発明協会副会長兼理事長
植松敏(1990年6月29日) - のち日本商工会議所専務理事
深沢亘(1991年6月14日) - のち日本自転車振興会副会長
麻生渡(1992年6月23日) - のち福岡県知事
高島章(1994年7月1日) - のち富士通副会長、富士通総研会長
清川佑二(1995年6月21日) - のち海外経済協力基金理事、東芝専務、(財)日中経済協会理事長
荒井寿光(1996年7月2日) - のち通商産業審議官、知的財産戦略推進事務局長、東京中小企業投資育成社長
伊佐山建志(1998年6月19日) - のち日産自動車副会長、カーライル・ジャパン会長
近藤隆彦(1999年9月6日) - のち三菱電機副社長
及川耕造(2000年6月30日) - のち日本政策投資銀行理事、経済産業研究所理事長
太田信一郎(2002年7月30日) - のち損害保険ジャパン顧問、電源開発代取副社長・副会長
今井康夫(2003年7月11日) - のち(財)産業研究所顧問、住友金属工業副社長
小川洋(2004年6月22日) - のち知的財産戦略推進事務局長、内閣広報官、福岡県知事
中嶋誠(2005年9月6日) - のち住友電気工業顧問
肥塚雅博(2007年7月10日) 2008年三井住友海上火災保険株式会社顧問、2009年富士通株式会社顧問(現職)。
鈴木隆史(2008年7月11日)- のち日本貿易保険理事長
細野哲弘(2009年7月14日)- のち資源エネルギー庁長官
岩井良行(2010年8月23日)- 現職
その他 [編集]早口言葉に東京特許許可局という言葉があるが、実際にはそのような部局は実在しない。
2007年3月26日より4日間の間、特許庁地下1階で開かれた展示即売会に出店した業者が、偽物のブランド製品を販売していたことが報道された。
脚注 [編集]1.^ アジア太平洋地域における知的財産権協力について
関連項目 [編集]ウィキメディア・コモンズには、特許庁に関連するカテゴリがあります。特許
実用新案
商標
意匠
審査官 (特許庁)
審判官 (特許庁)
審判書記官
知的財産高等裁判所
弁理士 (日本)
特許事務所
日本の特許制度
日本の特許法における手続の補正
日本特許情報機構
工業所有権公報
法整備支援
外部リンク [編集]特許庁ホームページ

カテゴリ: 特許庁 (日本) | 外局


以上、特許庁 - Wikipediaより転載


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